たとえば、こんな、物語(学園モノ)Ⅴ





気が付くと、ぼんやりとした視界に、白い天井が映っていた。
自分の部屋の天井じゃないな、と思いながら、ここは何処だったかと考える。
どうやら寝かされているらしいのだが、頭がまだ眠っているようで、思考が纏まらない。

ふと、高遠とキスをした場面が、はじめの脳裏を過ぎった。
ほんの一瞬、触れたくちびるの感触。
閉じられた長い睫が、すぐ目の前にあったことを思い出す。
それは、教師にはあるまじき、突飛な行動。
でも、それが現実にあったことなのかどうかすら、はじめにはわからなくなっていた。
自分は今、夢を見ているのか。
それとも、これが現実で、夢を見ていたのか。
霞みがかったようにすっきりしない頭で、どうしたのかと考えていると、同じ部屋の中で、誰かの話している声が聞こえていることに気が付いた。はっきりとは聞き取れないが、男女ふたりの声だということだけは、なんとなくわかる。
妙に重い頭をめぐらせて、声の方へと視線をやると、生物教師の高遠と保険医の丸山が、向こうで何事かを話しているのが見えた。丸山も二十代半ばで、高遠とそんなに歳が変わらない若い先生だ。見た目もなかなかかわいいと、男子生徒の憧れを集めている保険医。
けれど今、高遠と話す丸山は、微かに頬を染め、媚びを含んだ眼差しを高遠に寄越している気がして、はじめは酷く不快感を覚えた。
互いに向き合いながら親しげに話しているその様子は、胸の中に耐えがたいほどの苛立ちと痛みを、与えてくる。

自分の中のその感情が、何処から来るものなのかを考える余裕も無く、ただ、高遠に自分を見て欲しくて、はじめは身体を起こそうとした。
教室でも、ずっとそうだった。高遠は、わざとはじめを避けるような行動ばかりを取る。
ちゃんと、自分を見て欲しい。
ただ、それだけの思いで、はじめは起き上がろうとしていた。
なのに、ふらついて、思うように動けない。
どうしたというのだろう、もどかしい自分の身体に、涙が出そうになる。
高遠は、はじめなどいないかのように、楽しげに保険医と話している。まるで、気付いてもくれない。
そんな高遠を見ていて、もしかして、自分は他の人には見えていないのではないかと、ばかなことさえ考えてしまっていた。

ちくしょう、一体なんなんだよ。なんで、こんなに身体が動かないんだ! なんで先生は、おれに気付いてくれないんだよ!

意地になって、無理やり身体を動かそうとしているうちにバランスを崩して、はじめはベッドから落ちそうになった。
とその時。
「金田一君!」
高遠の鋭い声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、落ちかけた身体を覚えのある力強さが抱き止めていた。確かに、階段から落ちたとき、抱きとめてくれたのは、この腕。
見上げると、求めていた金茶の不思議な色をした眼差しが、すぐ目の前ではじめを捉えている。その眼差しと視線が絡み合った瞬間、『どくん』と、はじめの胸の奥で、心臓が大きな音を立てて、跳ねた。

「何をしているんですか! きみは教室で倒れたんですよ?! 無理に起き上がろうとしてはいけません!」

厳しそうに聞こえる高遠の言葉は、けれど、はじめを心底心配してのものだと、その瞳がなによりも雄弁に物語っている。
「せんせ…」
高遠の腕に抱かれながら、はじめは、体中の血が沸騰するのではないかと思うほどの熱を、覚えた。今まで知りもしなかった感覚に、はじめ自身、戸惑う。
高遠が触れている場所から熱は生まれ、そしてそれは、高鳴る鼓動と共に、全身に広がって行く。
なのに高遠は、事務的にはじめの身体をベッドへと戻すと、何も気付かないのか、また保険医の方へと向いてしまった。
突然の喪失感が、絶望にも似た重さで、胸の中の何かを押しつぶそうとする息苦しささえはじめは感じているのに、高遠はまた、知らん顔だ。

こっちを向いて欲しい。自分を、見て欲しい。
ただ、それだけなのに、先生…

訳もわからず、眦に涙が浮かぶ。

「金田一君も気が付いたようですし、このまま、ここで休ませておいても大丈夫でしょうか」
はじめの傍らに佇んだまま、高遠は口を開いた。
「そうですね。じゃあ、担任の先生からおうちの方に連絡を取ってもらって、迎えに来ていただいたほうがいいかもしれませんね」
丸山もはじめに顔を向けながら、答えを返している。だから、高遠と丸山の会話が、今度ははじめの耳にも届いた。会話の内容に、どうやら自分のことを言っているらしいと気付く。高遠は、はじめのことをないがしろにしていたわけではなかったのだ。
「先生…何の、話し?」
掠れた声が自分の喉から発せられると、その声に、はじめの傍にいた高遠が、再びはじめへと顔を向けた。
「きみのことですよ。意識が戻らないんで、救急車を呼ぼうかとまで話してたんですけど、気が付いたようだから」
高遠の言葉に、高遠と丸山が親密そうに話していると思っていたのが、自分のことを話していただけだったのだとわかって、はじめの胸は安堵を覚える。
それは、とても奇妙な感覚。
それなのに、不快ではない感情。
はじめは無意識に、ぎゅっと、胸元のシャツを握り締めていた。
欲しかった眼差しが、目の前にあった。
ただ、それだけなのに、胸の奥が切なく、震えた。

「おうちの方に、迎えに来ていただきますか? 金田一君?」

高遠の声に、ハッと我に返ったはじめは、何も考えずに返事を返していた。
「あっ、で、でも、おれの親、今、ふたりとも出張中でいないよ」
咄嗟に出たはじめの言葉に、高遠の顔が、一瞬強張った気がしたが、またすぐに逸らされて、はじめからその表情は見えなくなった。
「困りましたねぇ」
保険医の丸山も、困惑を隠しきれない表情を浮かべている。
「あ…でも、おれン家、いつもそうだから…ふたりとも、仕事で忙しいんだ」
はじめが、気まずそうにぽつりとそう零すと、
「まだ学生のきみを、一人置いて…?」
高遠が、聞き取れないくらいの小さな声で呟くのを、はじめの耳は捉えた。その、微かな怒りさえ感じさせる声を、幸か不幸か、丸山は聞かなかったようだ。
「どうしましょうか。担任…福島先生、でしたよね? 相談してみます?」
丸山の言葉に、高遠は口元に手を当てながら、何事かを少し考える様子を見せた。
「…ぼくが、金田一君、連れて帰っちゃ駄目ですかね?」
「先生が、ですか?」
「ええ、ぼく、一人暮らしですし、こんな状態の金田一君を、誰もいない家に放っておくのもどうかと…」
「そうですねえ」
「とりあえず、福島先生にはぼくの方から相談してみます。丸山先生、これから研修なんでしょ? ぼくは次の時間、授業無いんで、金田一君のことなら見ておきますから」
畳み掛けるような高遠の言葉に、何かを思い出したらしい丸山は、時計に目をやると、突然、慌てた様子を見せながら、机の上にあった書類をばたばたと鞄に詰め始めた。

「じゃあ、すみませんが、高遠先生、後のことよろしくお願いします!」
そのまま、丸山が急ぎ足で出てゆくと、高遠とはじめのふたりだけが、部屋に残された。

高遠が思わず口にした言葉を、もしもあの時、丸山が捉えていたなら、彼女は彼らを二人だけにして出て行っただろうか。
いや、たとえ聞こえていたとしても、気付きはしなかっただろう。その言葉の裏にある、感情になど。

クーラーの微かな運転音だけが響く静かな部屋の中、はじめは熱に浮かされた頭で、ぼんやりと高遠の後姿を見つめていた。

白衣に包まれた、細い体躯。
けれど、意外なほどに力強い、その腕。
わけの分からない、高遠の行動。
そして自分の、感情。

階段から落ちたあの瞬間から、眼に見えない何かの歯車が静かに回り始めたのだと、はじめは感じていた。

高遠が、今、ゆっくりと、振り返る。



06/05/20改定
BACKNEXT

_________________________________

あんまり手を入れずに、アップになってしまいました(汗)。
次回の分は、少しばかり手を入れないといけないのですが、もう、だいぶ前に書いたものなので、どうしよう?な感じになっとります(悩)。
でも、読み返してると、これってやっぱり『LOVE SONG』の原型なんだなあ。
これの後ですもんね、あれを書き始めたの。
こちらはすでに完結しているので、なんとかとっとと纏めないとですね。はい。

06/05/20UP
再UP 14/08/29
-竹流-

ブラウザを閉じて戻ってください