「高遠は、…おれと別れたいのか…?」

言葉にすると、また涙が溢れてくる。
おれは、たぶん、そのことを口にするだけで泣けるくらい、この男と離れたくないのだろう。
でも、高遠の言うことは、もっともなんだ。
きっと、そうすることが、自分にとっても一番正しいんだ。
元の生活に戻って、今までどうりに暮らしてゆくのが正解で、一時の感情に流されて、犯罪者とともに堕ちてゆくなんて、馬鹿げている。

そう頭では理解しているのに、おれの感情はそれを受け入れたくないらしい。
自分ではコントロールできないほどの、激しい感情の波に飲まれて、冷静な判断がつかなくなっているだけなのはわかっている。でも、走り出した気持ちを抑えることなど、おれには出来なかった。

「…おれは…いやだ…」
目の前の高遠に、手を伸ばしていた。

「後悔…しませんか?」
高遠が訊ねてくる。
「…そんなのわかんないよ。後でするから、後悔なんだろ? 先にしないって言ってても、そんなの保証できることじゃないじゃん!」
答えた途端、高遠が怖いくらいの真剣な眼差しで、おれを見つめてきた。
「そんな程度の気持ちでは、ぼくと一緒にはいられませんよ?」
「おれがどのくらいあんたのことを好きかなんて、あんたにわかるわけ無い。おれだって、今気付いたばっかなのに。でも、これだけは言えるんだ。おれは今、あんたと別れたら、きっと後悔するって…」
いつの間にか、涙は、止まっていた。
はっきりと、自分に宣言するように口に出して、初めて形を取るモノもあるらしい。

今、別れたら、おれはきっと、後悔する。

それは確かな形となって、自分の中に存在している。
「高遠は? 今おれを手放して、それでいいのか? それで納得できるのか?」
おれの言葉に、高遠はハッとした表情を見せた。
その瞳の中を過ぎる、一瞬の逡巡。
そうして、躊躇いがちに、薄いくちびるが開かれて。
「…できない…」
言いながら、敗北を認めた時みたいな苦笑交じりの表情を浮かべると、ふっと息を吐いた。
「きみには、敵いませんねえ」
そっと、大切なものにでも触れるように、高遠の手がおれの頬に触れて。
ふと、その感触が少し湿っていることに、おれは気がついた。
「…たかとお、手のひらが少し、汗かいてる?」
「ええ、緊張していましたから」
やさしげに微笑んで、おれに顔を近づけながら。
「きみが、どう答えてくるのかと…ね」

そうして、深くくちびるを重ねて、おれたちはこの夜、初めて互いの想いを重ね合った。

高遠は、このところ会うたびに泣くおれを見かねて、別れる決心をしたのだそうだ。
おれを苦しめているのかと思うと、自分が許せなくなって来たのだと。そして、自分の想いに気付いたのだと。
一ヶ月という時間をかけて、自分の気持ちに折り合いをつけて。最後に一度だけ、普通の恋人みたいにおれとデートしてみたかったのだと、この男は言った。
最後にデートの思い出が欲しいって、あんた… 
以外に、高遠ってば、乙女ちっくなトコあるんだ。
でも、まさか、別れを切り出して泣かれるとは、想ってもみなかったらしい。どうにも、喜ぶだろうとばかり考えていたから、どうしていいかわからなくなったという。
まあ、そりゃそうだろう、おれも、自分で自分にびっくりだったからな。
でも、よかったと、今はとても幸せだと、はにかんだ表情で、高遠は呟いた。

そうして、おれたちは互いに、今までの自分を捨てることに、決めたんだ。



今、おれの部屋の机の上には、へたくそなおれの字で、安物のレポート用紙に書かれた手紙が置いてある。
朝になって、いつまでも部屋から出てこないおれを呼びに来たフミが、たぶん、最初にこの手紙を見つけるだろう。
そして、この手紙を持って、母さんの所へと走って持ってゆくだろう。
この手紙を読んだ母さんは、きっと、仕方ないわねえと苦笑を洩らして、そっと窓の外を見るだろう。
おじいちゃん子だったものねえ、血は争えないってことなのかしら? 男の子はいつか、出て行っちゃうのねえ…
そんなことを言いながら、おれの席に置いてあった茶碗を片付けはじめるんだ。
小さく、ため息を吐きながら。

手紙には、こう書いてある。

ちょっと、旅に出てくる。
いつ戻れるかわからないけど、心配しないで欲しい。
わがまま言って、ごめんな。
今まで、育ててくれてありがとう。
これからもずっと、感謝してるよ。
時々、手紙出すから、元気でいてくれな。

はじめ




夜が明ける頃、おれは高遠と二人で、どこか知らない街にいた。
寂れた自動販売機の前に車を止めて、コーラを飲みながら。
おれの荷物は、小さなバックパックひとつ。高遠も、大き目のスーツケースひとつだけという身軽な出で立ちで。
これからどこへ行こうかと、ボンネットの上に、地図を広げて。

二人で話し合いながら、ふっとおれは思いついた。
「そういやさ、あの『ゲーム』はおれの勝ちって事だよな?」
「…なんのことですか…?」
不自然に、おれから目を逸らしながら、高遠がすっとぼけたことを仰る。
「だって、高遠の方が先に、おれのことが好きだって気付いたんだろ~が!」
ムキになって、おれが言い返すと、
「何を言ってるんですか、先に告白したのはきみの方でしょ?」
などと、子供みたいなことを言い返してくる。この男ってば、変なところで負けず嫌いだ。
「くっそ~、そんなへりくつが通ると思ってんのかよ! おれの勝ちったらおれの勝ち! 勝ったんだから、なんかくれよ~~~!!」
かく言うおれも、かなりお子様には違いない。でも、勝利のご褒美が、おれは、どうしても欲しいんだ。
そんなおれに、根負けしたみたいに高遠はため息を吐くと、
「仕方がありませんねえ、じゃあ、そういうことにしておいてあげますよ」
大げさに、肩なんぞ竦めて言い切った。
「じゃあ、勝利者の望みは何なんですか? 一応、聞いて差し上げましょう」

言ったな。

内心、おれがにやりと笑ったのを、この男は知らないんだろうなあ。
だからおれは、ビシリと人差し指を突きつけて言ってやった。

「おれの望みはね、あんたがこの先ずっと、おれを後悔させないことだよ」

高遠は、一瞬、その垂れ目を大きく見開いて。それから、とても嬉しそうに幸せそうに顔をほころばせた。そして、おれに向かって小指を差し出して。
「いいでしょう、約束しますよ。決して、きみを後悔させないと」
差し出された小指に、おれも小指を絡ませながら、笑い合う。
絶対だからな。約束だからな。破ったら、針千本なんだからな。
わかっていますよ。すべて、きみの望むままに。 そのまま、おれたちは、すべての指を絡ませあうと、強く互いの手を握り合って。自動販売機の白い光が照らす前で、神に誓いを立てるように、口づけを交わした。

うん。
歩き出そう、ふたりで。
未来へ向かって。
かなしい過去は、振り返らないで。

見上げると、明るくなり始めた空が、まるで夕焼けのように見事な紅に染まっていた。
「うわあ、綺麗だなあ」
それは、先日見た、夕空にも匹敵するほどの見事な色。
「朝焼けでも、こんな風に鮮やかに染まることがあるんだあ」
おれが呟くと、高遠が横でクスリと笑みを零す気配。
「あの時、本当はこんな風にきみと、あの綺麗な空を見てみたかったんです」
そんな言葉に、思わず顔をそちらに向けると、高遠もおれの方を見ていて。
「まさか、その願いが叶うなんて、思ってもみませんでした」
言いながら、空の色に負けないくらい、艶やかに美しく、笑った。

ふたりで見上げる空は、深い紅の色から、徐々に明るく変化してゆく。
暗闇に向かうわけでは無く、これから明け始める世界を告げるために、染まる空。

おれたちは車に戻って、ばたんと大きな音を立てながら扉を閉めると、空が明け始める方角に向かって走ることに決めた。
どこへ行くのかなんてわからない。
決まった未来が、あるわけじゃない。
けれど勇気を出して、一歩を踏み出さなくては、望む未来は手に入らない。

高遠が、軽くアクセルを踏み込む。
おれたちの遥か頭上で、夜明けの空は鮮やかに染まっている。



近い将来。
きっと、おれの家には、おれからの便りが届くだろう。
幸せにしていると。
好きな人と、暮らしていると。
とびきりの笑顔の写真を、同封して…





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06/09/06    了

暮れる空へ行く?
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『紅に染まる空』完結です~v
『GAME』シリーズなだけに、ゲームっぽく、ラストに分岐を持ってきてみました。
こちらは「ハッピーエンドバージョン」ですv
でも、鮮やかに染まる紅色の朝焼けなど、私は見たことがありません。
ってか、朝焼けがそんなに鮮やかになるものかどうかも謎です。
突っ込みどころ満載ですが、あえて突っ込まないでやってください(汗)。
これで『GAME』シリーズも終わりです。
最後までお付き合いくださった方に、感謝vv

06/09/07UP
15/01/15再UP
-竹流-

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