あれから十数年の歳月が流れた。
おれは頑張って警視庁の刑事になって、今は殺人科の警部という地位にある。
この若さで警部というのは、異例の早さだと言われているが、もっとすごい前例が近くにいるから、実感としてピンと来ないのが哀しいところだ。
そのもっとすごい前例は、そろそろ警視総監も射程圏内かと噂されていたりするから、笑わせるよな。
おれに言わせりゃ、あの人は、冷静に見えて血の気が多いから、もっと現場に出て直接指示を出して犯人を追い詰めたいんじゃないかと思うんだけどね。
警視総監になんかなってしまったら、ずっとデスクワークだろ?
まあ、当分は、話が来ても蹴り続けるんじゃないかというのが、おれの推測。
で、おれの同僚になった剣持のおっさんは、相変わらず、パワフルに健在だ。
でも、あと数年もしたら、おっさんも定年になっちまうから、少し寂しい気がするんだけどな。
そして、高遠は…
明日、刑が執行されることになっている。
あの日、おれたちはやっぱり、別れることに決めたんだ。
互いに好きあっているのだと、やっとわかったけれど、でも互いの道は、あまりにも違いすぎたから。だから、離れるのが一番いいと、納得して別れた。
あの後、高遠は暫く姿を見せなくなり、おれたちが再び出会ったのは、おれが刑事になってからのこと。
高遠は、またも血生臭い舞台を仕立て上げ、おれに挑戦状を叩きつけてきた。
まったく以前と変わりない高遠を、おれは必死で追いかけて。
逃げられたり、捕まえたり、捕まえても逃げられたり。
そんな攻防を、何度と無く繰り返して、そしてとうとう高遠を完全に捕まえた。
司法の場であの男は裁かれ、死刑判決が下されたんだ。
でもおれは、心のどこかで、また高遠は逃げるだろうと思っていた。今まで、どんな厳重な監獄からでも、あの男は逃げおおせてきたから。
けれど、高遠は逃げなかった。
そして、高遠がおれに面会を求めているという連絡が入って、今おれは、高遠が入れられている刑務所に来ている。
受付を済ませると、中に入る前に簡単な身体検査をされる。囚人に凶器になるようなものを渡されては困るからだ。刑事だからと言って、特別扱いはされない。
おれが持っていた拳銃と手錠と車のキーを、用意された籠の中に入れると、それは鍵のついたロッカーのようなものの中に仕舞われた。
それからさらに、面倒なさまざまな手続きを経て、ようやく高遠のいる第一級犯罪者独房へと続く金属製の窓の無い扉が開かれた。通路ごとについているその扉には暗号式の電子ロックがそれぞれ設けられており、厳重な監視下に置かれている。それらをいくつか通り抜けたその一番奥の部屋に、高遠はいた。
「お帰りになられるときには、さっきお渡ししたスイッチを押してください。言われたとおり音声はオフにいたしますが、カメラの方はずっと回っておりますので、何かあったらすぐに参ります」
「ああ、ありがとう」
おれが手を上げると、監視員は一礼して下がった。
先ほど、入室に関する注意事項を聞いたときに、面会中、音声だけでもオフにしてくれないかと頼んだのだ。渋られはしたが、今まで何度も高遠を捕まえてきた本人であることが考慮され、許可が下りた。
扉が閉められると、内側からは決して開かない仕掛けの電子ロックの掛かる音が無機質に響き、狭い室内に高遠と二人きりになった。
一応、ここは面会室なのだろう。部屋の真ん中には、床に完全に固定された強化ガラス製のテーブルと、これまた固定された椅子が四脚ほど、その周りに並べられている。
そのうちのひとつに、高遠は手を拘束された状態で座っていた。いや、手だけじゃない、足も椅子に繋がれるように拘束されている。
その酷く屈辱的であろう状態にも拘らず、高遠はおれを見ると、涼しげに微笑んだ。
「立っていないで、お掛けになったらどうです?」
「えっ? あ、ああ」
高遠に促されて、おれもまた、固定されてびくとも動かない椅子に座った。久しぶりに、高遠と向き合う。
「こうして話すのは、久しぶりですね」
「ああ…」
「来てくれて、嬉しいですよ」
言いながら、少し目を伏せて薄く笑う。真上にある光源から降り注ぐ光に、高遠の長い睫が白い肌に影を落としているのが見えている。
あれから十数年経って、高遠もそれなりの歳になっているはずなのだが、目の前の高遠は、あの頃とまるで変わらなくて、少し、胸の奥が苦しい気がした。
「…今回は、逃げなかったんだな…」
警察としてはあるまじき発言だろう。けれど、どうしても聞きたかった。逃げなかったのか、逃げられなかったのか。この男の真意を。
「まるで、逃げて欲しかったみたいに聞こえますよ?」
「そんなことは言ってない。ちゃんと、おれの目を見て、おれの質問に答えろよ」
おれの言葉に、高遠の月の光を凝縮したような目が、おれを真っ直ぐに射抜く。
「何を答えて欲しいんですか? 厄介な殺人鬼がやっと死刑になって、喜ぶ人は多いでしょう?」
「今回、あんたは逃げる素振りも何も見せなかったらしいじゃないか。考えたら、捕まえたときから、いつもと様子が違ってた気がするんだよ」
「……………」
「一体、何を考えているんだ?」
テーブルに身を乗り出して言い募るおれに、高遠はなぜだかひとつため息を吐くと、仕方がないとでも言いたげな風情で、口を開いた。
「…生きることに…飽きました」
「…飽きた…?」
「ええ、誰かを操って事件を起こさせても、きみとしのぎを削っている間は楽しいんですけど、終わってしまうと、なんだか空しい気がして…飽きてしまった」
言いながら、高遠は上から降り注ぐ太陽光に似せた光を、振り仰ぐように見上げた。
「…ひとりでいることに、堪えられなくなってしまったんでしょうかね?」
「…ひとりでいることに?」
その様子を見つめながら、オウムのように繰り返すおれに、高遠は小さく笑って「ええ」と答えた。
「…最後に、きみに会っておきたかった。会って、話をしたかった。だから、来てくれて、本当に嬉しい…」
「たかとお…」
また高遠は、おれに顔を向けると、穏やかに微笑んだ。
「金田一くん、まだ独身らしいですね? ぼくはてっきり、あの幼馴染みの少女と結婚するものだとばかり思っていましたよ」
「…おれは…結婚なんて、するつもりはないよ」
誰かのことが、ずっと、忘れられないから…
言わなかった言葉が、まるで伝わったかのように、高遠は少しだけ目を見開くと、こくりと咽喉を鳴らした。
まるで外界の音が伝わってこない部屋の中で沈黙が降りると、逆に静けさが耳の奥でうるさい。それくらい、この部屋は静かだ。
互いの鼓動が聞こえてきそうな気がするほどに、静かで、かなしい。
これが、高遠との最後の逢瀬。
そう思うと、涙が零れそうになる。音声はオフになっているとはいえ、画像はリアルタイムで映されているのだ。ここで泣き出したらかなりマズイ。
俯いて、懸命に涙を堪えていたら、
「…まだ、ぼくのために、泣いてくれるんですか…?」
穏やかな、やさしい高遠の声が聞こえた。
「ありがとう…はじめ…」
スイッチを押して暫くすると、外から鍵を開けられ、迎えがやってきた。
扉を出るときに、最後に一度だけ振り返ると、高遠が微笑みながら、おれを見送っていた。
その笑顔に、おれは見覚えがあったんだ。でも、その時は思い出せなかった。
そうして、おれたちを隔てる扉は閉ざされ、おれは、もう二度と、高遠に会うことは叶わなくなった。
次の日、おれは休暇を取って、部屋の中で、高遠の刑の執行の時間を待っていた。
休みを取りたいと申し出たとき、あの某警視は科が忙しいにも拘らず、黙って許可してくれた。おれが高遠に対して、何がしかの深い思い入れを持っている事を、聡いあの人は気付いていたのかもしれない。
刻々と迫る時間に、いても立ってもいられない気持ちになる。でも、どうしようもないことなのだ。
高遠はそれを望んだ。
そして、そうすることでしか、あの男の犯罪を止める術は無いだろう。
そんなことは、わかっている。けれど、理屈じゃないんだ、人の感情なんて。
『…生きることに…飽きました』
昨日の、落ち着いた高遠の声を思い出していた。
それは、死を目前にしているとは、思えないほどの穏やかさだった。
二人きりで、ほんの僅かな時間を過ごした、閉ざされた静かな部屋。
高遠は、あんなにも静かな部屋の中で、いつも何を考えて過ごしていたのだろう?
『…ひとりでいることに、堪えられなくなってしまったんでしょうかね?』
ぽつりと洩らされたセリフ。
この言葉に、あの男の孤独が透けて見える気がした。
あの時、もしも別れることを選択しなければ、こんな結末にはならなかったのだろうか。
互いに、元の生活を捨てる勇気さえあれば…
でも、もう、取り戻すことはできない。やり直せない。
そう考えて、昨日の高遠の別れ際の微笑が、あの日、別れるときに見せたものと同じだということに気がついた。
穏やかで、やさしくて、どこか、寂しい。
そうだ、あれは、何かを諦めた顔だったんだ。
カチリと時計の針が、執行の時間を指す。
高遠が逃げたという連絡は、結局、最後まで、来なかった。
この日の夕空は、いつかのように、見事なまでに美しい紅に染まっていた。
不意に、携帯から流れたあの奇妙なピアノ曲が、微かな余韻を持って記憶の中で流れだす。
あんなに嫌だったメロディが、今は切なく、甘い調べ。
あの日、空が美しいからとおれに届けられた言葉は、高遠の心そのものだったのだろう。
離れていても、同じ空を見ていたい。ただ、そんな想い。
けれど、高遠は、もう、いない。
おれが捕まえて、死刑台に送ったのだから。
憎むべき、犯罪者として。
窓辺にもたれ掛かりながら見上げる空は、どこまでも深く紅く、ふと、初めて出会ったときに、あの男がおれに差し出した、真紅の薔薇の花を思い出させた。
「…血のように紅い薔薇をどうぞ…か」
まるで、あの男の、最後の別れの言葉のような空を見つめながら。
こうなるしかなかった運命に。
おれは、泣いた。
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06/09/06 了
明ける空へ行く?
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『紅に染まる空』完結です~v
『GAME』シリーズなだけに、ゲームっぽく、ラストに分岐を持ってきてみました。
こちらは「アンハッピーバージョン」なのですが、こういう終わり方も「あり」だと思うのですよね。
こんなラストは嫌だなという方、ホント、ごめんなさい。
これで『GAME』シリーズも終わりです。
最後までお付き合いくださった方に、感謝vv
06/09/07UP
15/01/15再UP
-竹流-
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